当事者意識と現実逃避

ツギツナグ 橋本和明です。

 

最近の考えをちらほらと

でも、真剣に書きました。

 

 

ネットの悪口

なんで会議とかになったら何にも話さない人ばかりの日本人なのにネットにはこんなにも悪口があふれるのか。それは「匿名だから言いたい放題言える。」ということもあるかもしれませんが、ぼくは当事者意識がないからだと思います。

 

当事者意識。つまりそれが自分が現実世界で面と向かって相手にその言葉を言っていることと同じことです。でもやはりインターネットを介すと、まず相手の顔が見えない。なので相手がその言葉をどんな顔で受け止めていようが、どんな怖い人であろうが何でも言うことができる。その環境はどこか現実世界の出来事ではないような感覚なんじゃないだろうかと思います。

 

実際に誹謗中傷が集まりすぎて心を病んだり、死んだりする人もいると思います。でもインターネットを介していて当事者意識がないから自分は関係ないって思える。加害者じゃないって思える。誰かが死んだ次の日からでも普通に生活できる。

 

これがもし実際にあってその人に言って、その言葉に相手が傷ついて死ぬのを見たら次の日から普通に生活なんてきっとできないですよね。

 

直接のコミュニケーションをしなくなり、薄く広く関われるようになって当事者意識を失われた人が増えているように思います。

 

テレビへの違和感

テレビを楽しく見れなくなりました。最近なんだかおかしな感じです。もしかしたらそれはぼくが気付き始めたのが最近なだけかもしれませんが、なんだかおかしいと思いませんか?

 

やたらと「日本は素晴らしい」みたいな部分ばかり取り上げている気がする。これってある意味洗脳なのかなとも思います。第二次世界大戦中に日本軍は負けてるのに新聞ではずっと勝ってるって取り上げられてたみたいな。

 

日本の伝統文化は本当に素晴らしいと思うけど、それ以上に日本が抱えてる問題は報道しないで包み隠してる感じ。いい部分を取り上げると視聴率が上がるのはわかるけど違和感を感じる。

 

テレビで誰かが言ってるコメントもなんか薄っぺらい感じで、そのコメントから何も考える余地もない感じ。立場が変わればすぐに逆の意見を言う。情報が溢れすぎて言葉が軽くなってるのかもしれない。

 

就職

大学を出たら就職しないといけない。それが当たり前。この洗脳はとても強いなあと思います。ぼくは新卒で就職せず新潟に移住してきました。いまはインターンで補助を受けていますが3月からは何もなくなります。でも何とかやっていけるし、楽しくやっていける自信があります。

 

それを思うと大学を卒業したら就職、じゃないと大変なことになるみたいな考えは別に信じなくてもいいことだったんだなと気づきました。でも親は大学を卒業したら就職しなさいというと思います。それは親の時代はそうやって生きるのが当たり前だっtから。そうして生きてきてぼくたちを育ててきたからです。

 

でも歴史をみると、「仕事はつくるもの」という時代が日本では長かったし、多くの割合を占めていたと思います。集落の中で何か困りごとがあってそれに対価を払う人がいたら仕事になる。そうして人は仕事をつくって生きてきました。

 

固定給がもらえる都会の仕事じゃなくても、楽しく生きている人はいっぱいいる。もちろんそこに努力があるけど新卒で就職しないと楽しい人生歩めないなんてのは嘘だ。もっと自分で考えて自分の人生に当事者意識を持たないといけない。

 

集落がなくなること

ぼくは都会では生きていけないと思いました。それは都会にある仕事のほとんどに興味がなかったから。そこで働く意味を見いだせなかったから。そんな中でぼくが働いてもそのまま死んでいくだけだと思ったからです。

 

大学で地域づくりを学びました。いろんな地域にいって少しばかり話もさせてもらいました。その中で実感したのは「日本の多くの集落は滅びつつあるんだなあ」「もう時間はないんだなあ」ということでした。

 

こんなことを言ったらほとんどの人を敵に回してしまうことになるんですが、ぼくからしたら都会にある仕事のほとんどはどうでもいいことです。お金を稼ぐために稼いでる。使う、使わされるために稼いでるような気がするからです。

 

いま人口減少と高齢化で日本の集落は滅びつつあると思っています。各地で頑張っているプレイヤーのみなさんがいるので生き残っていく地域もあると思いますが、このままだと大半の地域は消滅するでしょう。

 

もちろん消滅といってもまちが吹っ飛ぶわけではありません。ただ、そこに残るのは誰かが住んでた家、箱物だけになります。

 

もしかしたら「一度人がいなくなってもまたそこに人がくれば集落になるじゃん。」と思うかもしれませんがそれでは都会にある新興住宅地と何ら変わりはありません。そこは新しく住む人にとってとても住みにくい地域になうと思います。

 

なぜなら新しく入ってきた人たちはそこで生きていくスベを知らないから。山は雨が降れば崩れます。風が吹けば木が倒れることもあります。水が流れなくなったら水路を整備しないといけない。大変なことはたくさんあります。

 

集落がなくなるということは、人がいなくなるだけの問題ではありません。そこにある生きるスベ、ワザ、チエがなくなるということです。

 

そして、残酷なことにこれらがなくなるのは集落がなくなるのよりも前でしょう。その人が生きていても伝えることができなくなれば実質的に滅びたも同然ですから。

 

別にそんなものは受け継いでいかなくたって生きていける。そう思うかもしれません。もちろん受け継いでいくのはぼくが受け継ぎたいと思うから。受け継いで残していかないといけないと思うからです。完全に個人の自由です。

 

でも、たとえば車で日本を走っていて、しまむらとイオンがある街だけが残ってしまえば日本は本当に面白くない国になると思わないでしょうか。里山があることは日本の基盤だと思います。

 

ぼくにとっては都会の仕事よりもこっちのほうが大切なことです。これがなくなったら日本は滅びるんじゃないかなあと思うほどです。これは誰かの問題ではなく日本人全員の問題ではないでしょうか。

 

自分の人生

自分のやりたいことを求めるのが当たり前。夢を追い求めて生きていくのが当たり前。この考えもまたどこかぼくは間違ってると思います。

 

自分のやりたいことだけを追求することは、人類のことを考えなくていいということです。その結果、いまの日本の集落は滅びようとしてるし、子供がいなくていい。少子化は進んでると思います。

 

人口についてはこれまでが多すぎた、という見方もできますが生まないと日本人は滅んで日本は滅ぶでしょう。

 

この命、生命をどう使うか。

 

この考え方に出会ってからぼくはすごく楽になりました。自分のやりたいことではなく誰のために何をしたいのか、何ができるのか。そう考えるようになって自分にできることって意外とあるんだなと思えるようになったし、人生が楽しくなってる気がします。

 

自分のやりたいことを探すこと自体に意味は特にないと思います。そこにとらわれて人生かけてやりたいこと探しをしてもきっとただ死ぬだけです。

 

当事者意識

自分は関係ない。自分はしなくてもいいだろう。自分は悪くない。さまざまですが、当事者意識がないから、みんな選挙もかないし、別にやりたくもないしごとをしてお金を稼いで使って生きているんだろうなと思います。ぼくからしたらそれは現実逃避のようなものです。あまり意味のあることではありません。

 

そんな現実逃避の間に日本の集落がなくなっていくのが悲しいです。

 

 

かっこよくまとめられなかったけど今日は以上。

 

橋本和明

 

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